空即是色 お花
2005年 02月18日
少し前から花についてリサーチを始めた。
花は慣習で様々な意味を持つ。
白百合は純潔/処女性の象徴として、薔薇はその形貌から女性器の象徴として知られている。
カトリックの教会に薔薇窓のステンドグラスといった薔薇の隠喩を含んだものが多く存在しているのはどうやらキリスト教がもともとは女神を崇拝していたことの名残らしい(キリスト教の女神崇拝→男神崇拝の事情を知るのは「ダ・ヴィンチ・コード」が面白いよ)。
日本では桜と菊、中国では牡丹などと多くの国々で国花が存在している。
調べてみて初めて知ったのだが、どうやら国花とは法律などで公式に決められているものではなく、長い歴史の間に国民に親しまれ愛された花が自然に国花となっているようだ。
この辺は花が慣習から象徴となった良い例のような気がする。
もう少し身近な例では、ひまわりを見ると夏を、桜は春を、ススキは秋をイメージすると思う。
また桜は卒業/受験/入学シーズンのイベントとは切っても切り離せない。
慣習とは長い時間のなかでゆるやかに人々の意識に根付いたものであり、地域に強く寄り、季節や時間軸と密接な関係性を持つ。
花が慣習として多種多様な意味を持つのは興味深い。
花の成長を記録したものを早送りした映像を初めて見たときに妙に神秘的な印象を受けたのを覚えている。
うまく説明できないが、早回しした花の成長映像から普段ゆるやかに体験している莫大な情報の変化を数分に濃縮して叩きつけられたような印象。
花が持つイメージの強さは動的で多量の情報の変化を表すのに適しているような気がする。
しかし具体的な品種を持ち出すとどうしても概存の意味に引っ張られてしまいそうなので、使うとしたら想像上の新種、もしくは単に抽象としての花が良いと思う。
この考えは多分にBen Fryのorganic information design(有機的な情報デザイン)に近く彼の研究やスケッチが非常に先進している。
っと…、煙草が吸いたくなってきたので今日はここまで。
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