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空即是色 デザインと自分

2005年 06月17日

先日、卒業研究制作進捗報告会(仮)というものを行った。
また、同じデザインコースに所属する人たちの卒制ログを見て思ったこと。

自分のログノートとは、なかなか赴きが違うなぁ…と思った。
想定していたことではあるが、なんとなく微妙に切迫感(ようなもの)を感じた。

テーマというかデザインの目的が、生活にちゃんと根ざしたものとなっている。
では、自分は?と言えば、書いていることが絶妙にテクニカルなのである。

PICとかC言語ライブラリとかOpenCVとか…
他のログノートや、報告会(仮)での話し合いでも、まずそんな言葉は自分以外は出てこない。

なぜ、そうなってしまったのか(別に悪いとは思っていないけど…)というと、多分にそれは、自分の生活の中心に、情報端末(コンピュータ)/プログラミング/インターネットと言ったものが存在しているからだと思う。

なので、テーマが(おそらく)自由な卒制では自分にとって身近なものを選択することになる(ならざる得ない)と思うので、必然的にデザインの対象、若しくは興味の対象は、他のデザインコースの人たちとは赴きが異なったものになる。のだと思う。

思えば、就活で某社に提出したレポートもプログラミングツールを使っている時に感じるデザインというものだった…(汗
某社のデザイナーに技術畑の人が居ると分かってのことだったので、想定済みのことではあったが、思い切ったことをしたものだと、しみじみ。

使いやすさ云々は、客観的な統計の事実によって、ある程度問題点を把握して解決へと導くことが可能なので(殆ど試行錯誤による経験の積み重ねによるところが大きいと思う)、このことに関しては不安はない。

ただし、何をデザインするのか、何のためにデザインするのかと問われた時、自分の興味の対象が一般的ではない故に、たくさん悩むだろうことが予想できる。

写真による思い出のアーカイブツールのデザイン。とか言ったとき、まずデジタルカメラそのものを好んで使っていない自分で引っかかるし、そして、写真によるアーカイブに、あんまし価値を感じられない(自分は非常に撮られることが嫌いである)ので、考えても考えても良いアイディアは浮かばないのだ。
なので、若しそんなものをデザインしろ、と言われたら、たぶんGUIのインタラクティブな効果であったり、ネットワークを利用した写真の共有といったような、そもそもの写真を撮ることの楽しさの本質を見失ったものが出来上がる可能性が大なのだ…

僕のこういった思考/嗜好を把握している先生や知人には、時おり(というか非常にしばしば)、「これはデザインじゃないね。」とか言われる。
せめて、「これはデザインらしくないね。」とか言ってくれれば、まだ救われる気がするのに…
更にきつい時には、「アートもどき」と言われるときもあった。
これは本気でヘコんだ。。

「アート」じゃないのは、僕の作品に自己表現がなされていないからで、そのことをちゃんと分かっている人だったので、...orz、と結果何も言えなくなってしまった。。

思えば、僕がこの学科に来て、まず始めにぶち当たった壁は、「デザイニングとエンジニアリング」だった。(別に大学以前に技術系の大学に居たというオチではないし、そもそもプログラミングなんて触ったこともなかった。一応、高校は普通科です。そして、一浪です。)
これに関しては、既に数名の先人が居たことと、学科的に「技術」が切り離せないものだったので、今に至るまでやり過ごすことができた(オイ!

この次にぶち当たった壁は、「アートとデザイン」となった。
2年生の夏以来、ウェブアゴラの活動を通して芸術コース(主にスタジオ5)とデザインコースを行き来していた自分には、実際自分のやっていることはデザインなのかアートなのか判断つかなくなっていたのである。
ちゃんと考えていれば良かったのだけど、この時は、それどころじゃなくて、結局、今悩むことになっている…

長くなったので、そろそろまとめると、自分のやりたいことはやっぱり「デザイン」だと思う(ドキドキ)。
芸術コースの伸び伸びとした環境や、制作の手法には非常に惹かれるけど、今まで自分の作品にアートを意識したことなかったし、メディアアートは大好きだけど、現代美術にはそんなに興味はないので、やっぱし、たぶん、おそらくデザインなんだと思います。

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コメント

ナヘタソ (2005年06月19日)

「アートもどき」という言葉はどちらかというと自分に対する戒めで、いろいろな作業をやらなくてはいけないメディア・アートの分野では難しい課題の一つと言えます。
また、デザインがアートにスナッチし、アートがデザインにスナッチするということがままありますが、それが良い循環で成立していれば良いのですが、そうでないことの方が多いです。そんな中で「アートもどき」とか「デザインもどき」とか言うことで、それぞれの立ち位置を明確にする必要はあるように思います。

ともあれやはり、野上式情報環境可視化メソッドの確立が早期に望まれると考えます。(興味の無いことにもある程度対処できるので)

nogami (2005年06月20日)

>野上式情報環境可視化メソッド
ゆっくりにでも確立していけたらと思います。
がむばります。

あと、今度グラフィックボードについて教えてください。
これはこれで早期に確立が望まれる問題なので…
極端な話、キャンバスが狭いと創造性の方にも支障が出てきてしまいそうな感じです。

T* (2005年06月22日)

世間的に評価されればアートモドキだろうがデザインモドキだろうが、いっしょだというのは暴言ですかね。

nogami (2005年06月22日)

いやいや、その通りだと思うよ。
ただ、なんというか、周囲からそう指摘される時はあるわけで、そういったときに、悩んでしまう自分の優柔不断さにヘコんでしまったのです。

ナヘタソが「アートもどき」とか「それぞれの立ち位置を明確にする必要はあるように思う」と言ったのは、彼なりの思いやりなんだと勝手に受け取っています。

情報芸術コース卒制展の名称(候補)に、それがよく出ていると思うんだけど、どうだろう。(知らない人、ごめん。。)
つまり、情報デザイン学科における情報芸術コース。
外から見たときの情情報芸術コースって何?とか。

ナヘタソ (2005年06月22日)

まぁ、「世間的に評価されれば」という前提がかなり脆いと言える気がする。
情報芸術コースの卒制展のタイトル案「デザインする情報芸術」を出したのは、作品つーのはやっぱりある程度は社会に出さなきゃいかんなぁ、そのために少し分かりやすくしなきゃなぁという思いの表れです。

nogami (2005年06月23日)

情報芸術コース卒制展名称の副題はあのままで突っ走ることを期待してますw

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